ホイアンから車で揺られること約3時間。
辿りついたのは、穏やかな「時」が流れる町でした。
世界文化遺産「フエの歴史的建造物群」
フエは、ベトナム最後の王朝であるグエン朝の都が置かれていた町です。
グエン朝ゆかりの王宮や寺院、皇帝陵などが数多く残っており、これらの建造物群はベトナム初の世界遺産として登録されました。
構成資産:グエン朝王宮
フエの王宮は、北京の紫禁城(故宮)を模して建てられたといわれています。
広大な敷地には正殿をはじめ皇族の住居、菩提寺、劇場などさまざまな建物がありましたが、ベトナム戦争時の1968年にそのほとんどが破壊されてしまいました。
正殿である太和殿は皇帝が政務を執った場所で、1970年に再建されました。
太和殿の柱の一部には戦時にうけた鉄砲の玉が今もなお残っており、当時の戦況の激しさを垣間見ることができます。
王宮内では皇帝をあらわす龍の装飾を随所に見ることができ、皇帝の権威が感じられます。
構成資産:カイディン帝陵
カイディン帝陵は、グエン朝の第12代皇帝カイディンの陵墓です。
当の御本人は建造途中に亡くなってしまいましたが、死後も工事が続けられ、11年の歳月をかけて完成されました。
フエには他にも歴代皇帝の陵墓が点在していますが、カイディン帝陵はそのなかでも異彩を放っています。
その理由として、カイディン帝陵は西洋風建築をもとに東洋と西洋のさまざまな建築様式が融合していることが挙げられます。
カイディン帝は派手好きだったため、内部空間は金箔や磁器、ガラスなどを用いてきらびやかな装飾が施されています。
細部までこだわり抜かれた装飾などによってカイディン帝陵は芸術的に高い評価を受けました。
壁面を飾っている茶色のガラスは、なんと日本製のビール瓶を砕いたもので、よくみると「TOKYO」という文字が浮かんでいます。
交易で栄えていたベトナムならではのアイデアがおもしろいですね。
ところが、カイディン帝時代のベトナムはフランスの統治下にあったため、平民たちは厳しい生活を強いられていました。
それにも関わらず、カイディン帝は贅沢な暮らしや化粧などで派手に着飾るということをやめなかったそうです(どこかで聞いたような話)。
こうした背景からカイディン帝は「オカマ皇帝」と呼ばれているそうです(ガイドさん曰く)。
後世においてカイディン帝陵は世界的に高い評価を受けたにも関わらず、カイディン帝自身が不人気というのはなんとも皮肉な話ですね。。
まとめ
「フエの歴史的建造物群」は、
東洋と西洋の文化が融合し、新しい建築様式が成立した
という点が評価され、1993年に世界文化遺産に登録されました。
また、グエン朝時代の皇族が楽しんだニャー・ニャック(雅楽)は世界無形文化遺産に登録されています。
時間の都合上、フエにある登録遺産すべてを巡ることはできませんでしたが、都会の喧騒から離れたフエでは、古きよき都の風を感じることができました。
さらに…世界遺産の町はフエだけにあらず!
極彩色のランタンに照らされる町、世界遺産ホイアンの記事はこちらから!
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