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  4. 香港とマカオを旅してるときに『未必のマクベス』を読むという最高の読書体験
『未必のマクベス』(著:早瀬耕)

※本記事はプロモーションが含まれています。

人にはそれぞれ、死ぬまでに読めてよかったと思える本があると思う。
わたしにとってのそれは、『スティル・ライフ』であり『銀河英雄伝説』であり『十二国記』だったりするのだが、ここ最近になって新たに『未必のマクベス』(著:早瀬耕)が加わった。

IT企業Jプロトコルの中井優一は、東南アジアを中心に交通系ICカードの販売に携わっていた。同僚の伴浩輔とともにバンコクでの商談を成功させた優一は、帰国の途上、澳門(マカオ)の娼婦から予言めいた言葉を告げられる──「あなたは、王として旅を続けなくてはならない」。やがて香港の子会社の代表取締役として出向を命じられた優一だったが、そこには底知れぬ陥穽が待ち受けていた。異色の犯罪小説にして、痛切なる恋愛小説。 本書・背表紙「あらすじ」より引用

『未必のマクベス』は、元はと言えば読書家の母が読んでいた小説で、わたしが香港とマカオを一人旅するときに半ば無理やり押しつけられた本だった。まず、背表紙の厚さからして気軽に旅に持っていくような本ではない。それでも「いいから持ってけ」と押しつけてきた母、結果からいえば本当にナイスである。やはり母の言うことは聞いておくものである。

『未必のマクベス』の本の帯

さて、『未必のマクベス』がどんな小説かを説明するのはすごく難しい。それは溢れんばかりの文章量で異彩を放つ、本の帯を見ても明らかだと思う。

この小説の魅力を語るのは難しい。経済小説であり、犯罪小説であり、ハードボイルド小説であり、恋愛小説でもあるのだが、そういうジャンルに押し込もうとすると、魅力がどんどんこぼれていく気がするからだ。
文章が滑らかで気持ちいいこと。どこか甘く、懐かしい香りが漂っていること。遠い昔のことをどんどん思い出すこと。小説を読むということは文章を読むということなのだが、その基本的なことを改めて感じること──そう言っても間違いではないが、これもまた一つの特徴にすぎないような気がする。 本書・本の帯|北上次郎, 朝日新聞6/9(土)朝刊 読書面「売れてる本」より引用

文芸評論家の北上さんがすべてを綴ってくださったので、わたしから語るべきことはほとんどない。ないのだが、世の中に『未必のマクベス』を読んでいる人がもっと増えてほしいので、微力ながら布教活動として「香港・マカオ一人旅 〜未必のマクベスに寄せて〜」の感想文を残したいと思う。

『未必のマクベス』はいくつかの東南アジアの都市が舞台となる。そのなかでも香港とマカオは物語の中心となる重要な土地だ。この小説はフィクションだが、物語には実在する物や場所が無数に出てくる。わたしは香港とマカオを旅するなかで、こういった「非現実のなかの現実」を追体験することに夢中になっていた。

カジノ・リスボア

『未必のマクベス』の主人公・中井優一は、沢木耕太郎の紀行小説『深夜特急』に登場するリスボアというカジノを訪れる。わたしは当初、マカオを訪れてもカジノには行かないつもりでいた。というより、行ってはならないと思っていた。もちろんわたしも中井同様に『深夜特急』を読んでいたので、カジノというものに大いに興味はあった。けれど、わたしは博打の才能がないことを自覚しており(競馬で幾度となく撃沈済み)、カジノで遊べるほどのお金も持ち合わせていなかった。そもそも、女一人でカジノに行くこと自体、ハードルが高いな…と尻込みしていたのである。

ところがどうだろう。『未必のマクベス』における中井の運命は、あろうことかこのカジノ・リスボアから動き出してしまうのだ。妄想癖のあるわたしとしては「ひょっとしたら、わたしも…!」と思わずにはいられない。こうして単身カジノに乗り込んでしまったわたしは、『深夜特急』の沢木さんや『未必のマクベス』の中井と同じく、古代中国発祥のサイコロゲーム「大小」に挑戦した。根拠のない自信とはおそろしい。案の定、わたしは初回のゲームであっさりと負け、「ひょっとしたら」な出来事はさっぱり起こらなかった。すべては妄想に終わった。だが、『未必のマクベス』の後押しがなければわたしはカジノを体験することもなかったので、これはこれで良い思い出となった。と、思うことにしたい……

雲呑麺

香港では粥麺専家──粥と麺の専門店で、たびたび食事をした。粥麺専家は香港の生活に根ざした大衆向け食堂で、『未必のマクベス』の登場人物たちも頻繁に訪れている。そのなかでも、中井の同僚・伴浩輔は、粥麺専家の定番メニューである雲呑麺(ワンタン麺)を溺愛していた。香港名物でもある雲呑麺の特徴は、なんといってもワンタンの中に海老が入っていることなのだが、何を隠そう。わたしは海老が苦手であった。アレルギーがあるとかではなく、単純にあのプリプリ食感が好きではなかった。

ところがどうだろう。伴が朝昼晩と毎食のように雲呑麺を食べているものだから、だんだんと雲呑麺という食べ物が気になってくる。粥麺専家を通りがかるたびに「香港で雲呑麺を食べなくてどうする」と、内なる伴氏にプレッシャーをかけられているような気さえしてくる。こうしてわたしは、とうとう雲呑麺を食べることにした。正直、普通に美味しくてびっくりした。海老がプリプリで美味しいではないか。

ミッド・レベルズ・エスカレーター

香港島の中環(セントラル)には世界最長のエスカレーターといわれるミッド・レベルズ・エスカレーターがある。ここは観光スポットであると同時に、坂の多い香港島では欠かせない地元民の移動手段となっている。ミッド・レベルズ・エスカレーターも『未必のマクベス』に登場しており、物語の終盤、主人公・中井と“彼女”の印象深いシーンが描かれる。ネタバレになるので詳細は控えるが、この場所で、彼らの姿を探さずにはいられなかった。

スターフェリー スターフェリー

中井は香港島と九龍島を結ぶ海上交通・スターフェリーにもたびたび乗船していた。運賃は約50円、6分ほどで二つの島を行き来する。海の下を一瞬で駆け抜ける地下鉄よりずっと情緒があり、わたしもかなり気に入っていた。香港の風をなびかせながら、ベイ・シューがカバーした曲“You’re Beautiful”を聴きたい。

このように『未必のマクベス』は、物語の情景があざやかに想起される小説だ。わたしは基本的に小説作品は小説のなかだけで存在してほしいと思うタイプなのだが、『未必のマクベス』の映像化はとても見てみたいと思う。NetflixかAmazon Primeあたりのオリジナル作品として、いつの日か映画化されたらいいなとひそかに期待している。

マカオの夕日

最後にもうひとつだけ。
『未必のマクベス』の冒頭では、主人公・中井による独白のような文章が綴られている。いちばん最初に触れる文章なのでさらっと読み流すことになると思うが、この物語の結末を見届けたあとに、あらためて読み返してみてほしい。わたしはそれで情緒がめちゃくちゃになってしまった。

香港とマカオ、そして『未必のマクベス』の旅を終えてから、もうすぐ三カ月が経つ。それなのに、いまだに心の一部があの場所、あの世界にとらわれているような気がする。香港に帰りたい。彼らがいた世界に帰りたい。なんだか無性にそう思う、哀愁に満ちた物語だった。

紹介書籍
早瀬耕「未必のマクベス」, 株式会社早川書房, 2017年9月25日
沢木耕太郎「深夜特急1 香港・マカオ」, 株式会社新潮社, 1994年3月25日

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